かぞく、くらす、たびをする。

余裕って豊かな土壌のことを言うのかもしれない。

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2016年1月2日、東京のわが家。梅のつぼみがふくらみ、いくつかは花を咲かせていました。暖冬!

 

土曜日に南会津から東京に戻りました。

久しぶりにゆっくりと帰省できたおかげで、
親戚のおじちゃん、おばちゃん、従姉妹たちとも会えて、
話がたくさんできて、それがとても良かったです。

別にみんな、普段通りにしゃべってるだけなんですけど、
講演会や仕事の打合せに負けず劣らず、刺激的でした。

言うこと、成すこと味わいぶかくて、発見があると言いますか。
人ってのは本当に面白いし、すごいもんだなぁ。
自分次第だなぁと強く思いました。

 

「余裕」とは、豊かな土壌?

 

しかし一週間も帰ってなければ、そんな話もできなかったでしょう。
何をするにも時間なり、精神的なり、経済的になり、
「余裕」がないと難しいもんだなと思いました。

それこそ”おしゃべり”なんては時間に余裕がないとできないし、
気持ちに余裕がなければ、耳を傾けることすらできない。

 

話はいきなり変わるのですが、
昨今は食品の加工技術がどんどん高度化して、工夫もされて、
食べてもまぁ十分においしいよね、栄養もちゃんと考えてあるし、
っていう便利な食べ物がたくさんありますよね。

それは会話に例えれば、
プログラムがきちんと構成されたセミナーだったり、
分かりやすくまとめられたネットの情報だったりに似ている気がします。

それに対して、人と会って話をしたり、小説を読んだり、映画をみたり
・・・というのは、時間も手間も要する。

 

それはそれであって、どっちが良い悪いという話でもなく、
うまく取り入れていけばいいことなんですが。

問題は「余裕」というのは勝手には生まれないし、
インスタントに作れるものではないと思うのです。

畑を耕すように時間もかかる、技術もいる。

 

今年は土壌づくりに励むのだ。

 

食べ物での例えに戻すと、
新鮮な食材をその場で食べる事の価値とか、
それでしか得られない栄養とかは必ずあると思うのですが、
そういうものを選択できる経済的余裕や、楽しめる心の余裕、
どう調理して吸収するかのスキルのあるなしが、
これからを生きる上でのクオリティを大きく分けるという気がします。

 

今回の親戚のおじちゃん、おばちゃんとの”おしゃべり”は正に生モノでした。
娘の「ねーねーママ聞いて」とかも同じで、やっぱり生モノだろうと思います。
その時に聞かないと、聞けない。その時だから、聞ける話がある。

 

そういう生のモノを味わえる暮らしをどうしたら作っていくことができるか、
それが今の私にとって大きな関心ごとです。

 
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This article was written on 05 1月 2016, and is filled under 考える.

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